精神年齢と秘密の相関関係
〜depsetor atque misio〜
夕食後の洗い物も終わり、一息ついた土曜の夜。
はふ。
居間に座り込んで本当にひとつ溜息を吐いて、片肌脱いだ美汐は手に取った物をじっと見つめた。
それは柄付きの電動マッサージ器。肩叩き機とも言えるそれ。
じーっ。
長々と眺めている。
はふ、と溜息もうひとつ。
そうやってたっぷり5秒ほどを過ごした後、ゆっくりと、美汐は手にもったそれを肩へともって行く。
とん、と肩に稼動部が軽く当たって、その小さなくすぐったいような感触に美汐の肩がぴくんと緊張した。
横目で稼動部が目的の位置に当たっているのかどうか確かめながら、右手の親指はゆっくりとマッサージ器のスイッチを探して彷徨い……。
「やっぱりダメ!」
首を横にぶんぶんと振って美汐はマッサージ器を放り投げた。
肩が凝っている。美汐の身体はマッサージを渇望していた。
だが、これの──畳の上に横たわるマッサージ器を眺めた──スイッチを入れた瞬間、何か大事なものが取り返しのつかない事態になりそうな気がした。
無論のことそれは美汐の思い込みで、実際は何も変わらない筈なのだ。変わらない筈なのだが、美汐は精神的に不可逆的な変化を強いられてしまう気がした。主に精神年齢といわれる部分が。
そんな事を思ってしまうのも、事あるごとに美汐の精神年齢が実年齢と比較して著しく高い(控えめにした表現だ)と評する親友と意地悪な先輩のせい。
美汐も年頃の女の子。『可愛い』とまではいかないまでも、せめて『大人しい』とか『清楚だ』とか肯定的な形容詞や形容動詞を貰いたい。決して『オバサンくさい』などという言葉を貰いたい訳ではない。貰いたい訳ではないのだが、遺憾なことに、その親友と先輩はその7音節を時たまに無邪気に贈ってくれるのだ。
気にしなければ何でもない事なのだが、若々しさとは反対のベクトルを持つ言葉を幾たびか言われてしまえば否が応でも意識してしまう。今の美汐には、このマッサージ器こそが、『オバサンくさい』の象徴に見え、その使用に躊躇いを感じる程になっていた。
しかし──。
身体がどうしようもなく疼くのだ。
振動が欲しいと声咽び啼泣するのだ。
美汐はふるふると震える手を伸ばす。
先程の乱暴を詫びるかのようにそっと持ち上げて、心なし潤んだ目でそれを見つめ、そっと肩へと稼動部を持って行った。
「ん」
肩に感じた優しいタッチに美汐は思わず声を上げてしまう。
これが振動を始めたら一体自分はどうなってしまうのだろう?
期待と不安をないまぜにした指がゆっくりとボタンを押した。
かちり。
待ち望んだ振動が感じられた瞬間──
「みしおーっ! こんばんはー」
玄関から突然聞こえてきた声。
驚きのあまり美汐はわたわたとお手玉のように空中でマッサージ器をジャグリングしてしまう。
落としてはならない、音をさせてはならない、美汐のココロの中にあったのはそんなことばかり。
美汐の精神的安定のためにも、対外的な精神的年齢の若さを維持するためにも、マッサージ器を気取られる訳にはいかなかった。その為には、不審に思われるような事があってはならない。
ようやく空中で暴れていたマッサージ器を掴み取った美汐はきょろきょろと周囲を見回した。手に持ったこれをどうしようか、隠し場所を探って視線は部屋中へ。
「みしおー、いないのー? あがるよー?」
聞こえてくる親友の声に時間的猶予は全く無いと断ずるや、立ち上がって座布団を捲り上げてその下にマッサージ器を隠し、美汐は一目散に玄関へ向かった。
「いらっしゃい真琴、相沢さん。どうしたんですかこんな夜更けに一体?」
「天野ゴメン、真琴のやつがどうしてもって……てどうしたんだその格好!?」
「あぅ……暑かったの?」
「え……っ!? みないでくださいっ」
片肌脱いではだけたブラウスからブラのストラップどころか、カップの一部までもが見えていることに気付いたときにはもう既に遅かった。
慌てて奥の部屋まで掛けていって服を直している間に、居間まで上がりこんだ真琴が妙に盛り上がった座布団に興味を示し始めていたという、そんな夏の夜の伝説。
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