小学校3年生の美坂栞は悩んでいた。
悩みの種は夏休みの宿題について。
殆どの科目の宿題は、問題とはならなかった。誰よりも頭が良く、誰よりも優しい姉が居るからだ。彼女の悩みはただひとつ。ただひとつ自由研究だけなのだ。
『何でも良いから観察して、日記をつけましょう』
夏休み突入直前の先生の言葉が蘇る。
これにはしおりん大弱り。
何しろ先生の提示した案ときたら
などなど、根気が要ったり、度胸が要ったりするようなものばかり。
栞に根気が無いという訳ではないが、生来病弱な彼女、いつ不意の入院があるか知れない。家で安静にしておかなければならないことなんてしばしばだ。
鉢植えの花ならば兎も角、理科の授業で植えたヘチマを観察するために毎日学校に行かねばならないような観察日記は到底無理だ。カビだなんて、観察の対象にすらしたくなかった。
しかし宿題は出されてしまった。
栞は何を観察するかを決めねばならない。
思い余った栞は姉に相談してみた。
「あんた、最後の宿題まであたしにやらせる気?」
取り合ってもらえなかった。
そこで栞は必死に考える。
気長に観察できて、もし入院する事になっても観察が続けられるものは何か?
考える。
それこそ、おやつにホットミルクかホットチョコレートか選ばされた時くらいに悩んだ。
悩みはすれどネタは浮かばず。そんな栞のとある一日。
「さあ、今日も始まるわよ!!」
「うぅ……。私はいいよ……」
「れっつごーっ!!」
かくん。身体がが傾く。栞は香里に左腕を引っ張られながら、居間まで引っ立てられた。
今日は金曜日。ここ半月ほど、オリンピックや野球中継で潰れていた香里のお気に入りのドラマがある日なのだ。
鼻歌を歌いながらテレビの電源を入れる香里。
栞はドラマよりも、どちらかと言えばアニメの方が好きだったが、「アニメを見るのってお子様よね」という姉の言葉を聞いて以来ドラマも嗜むようになった。というか、嗜むように仕向けられた。
何故か香里は栞にはダダ甘で、自分の好きなものは全て栞と分かち合おうとする。ドラマも然り。香里の嗜好は刑事ドラマ。この点で栞の趣味とは絶望的なまでの隔絶があるコトに気付いていないのは、香里にとって幸せなことなのかどうなのか。栞としては、恋愛ドラマの方を見たいのだが。どうせ見なければならないのなら。
「豊様〜♪」
うっとりと画面を見つめる香里を栞は信じられない眼で見た。あんな気障な役をうっとりと眺められるなんて、どういう神経だろう。
いつもクールで、だけど優しくて暖かくて大好きな姉だが、こういう所だけは栞には理解できなかった。
「ねえねえ、今日も本城刑事格好良かったわね♪」
番組が終わって香里は上機嫌。どこが良かった、どこが格好よかったと、演技を付けながら栞に講釈。
「はぁ……あたしもあんな水玉のパジャマを着てみようかしら」
水谷豊の扮する本城慎太郎に習って、水玉のパジャマとナイトキャップを被っている香里の姿を栞は想像した。
その時、天啓が下ってきた。
優等生としての顔しか知られていない姉の等身大の姿。お堅いイメージで小学校のクラスでもちょっと浮き気味な姉の、飾らない本当の姿を私がプロデュースするのだ。意外性もある。親しみやすいフレンドリーな企画。これはイケる。
栞は突如の閃きに思わず身震いした。香里なら、栞が入院している時だって日参して話をしてくれる。つまり、観察可能。
これだ、これしかない。
思いつきというのはいつも唐突だ。
そして栞の良いところは、直感に素直なところである。こんなところで芸術家肌。
満足げな姉を残して部屋に戻り、『自由か題ちょう』と書かれた折綴じ冊子の課題記入欄に
お姉ちゃんのかんさつ日記
と書き入れた。
とりあえず、初日という事で書いておいた。
『8月7日
お姉ちゃんには、すきな人がいます。
その人のためならなんでもできるって言ってます。わたしのテレビもじゃまします。でもこく白できないみたいです。うそつきはいけないと思います。
今日もお姉ちゃんはすきな人を見てました。その人のためにお姉ちゃんはけいさつ官になるんだそうです。
いちずなお姉ちゃんだと思います。
だけどわたしのお人形のテデイ君をだいて「ゆたかさま」ってよぶのはやめてほしいです。
テレビの前でゴロゴロ転がりながら「すき」って言いながらわたしをくすぐるのもやめてほしいです。
でもわたしはそんなお姉ちゃんの恋をおうえんしてあげたいです。』
これで完璧だ。
鉛筆を握って力をこめる。
(これでクラスでも孤立しているお姉ちゃんを救い出して見せるからね)
何だか目的が宿題から変わっている模様。
お姉ちゃんのかんさつ日記
〜Diariae siorinis in aestate〜
(続くのです)
|